玉川上水を足で辿る③(三鷹駅~四谷大木戸跡)
第3区間のルート詳細
2018年11月11日(日)
10時、JR三鷹駅を出発
前回から約半年もあいてしまった、気候もだいぶ変わり、夜は少々肌寒いのであまりもたもたしていられない。
今回で全区間踏破をしたい。と小さな決意を胸に、三鷹駅を出発。
ここから中央線の下をくぐり、南口へと通じている(地図参照)
三鷹駅から井の頭公園の間に、山本有三記念館 という昭和初期に立てられたお屋敷を見つけ、ちらっと見学。「路傍の石」などの作品を執筆した作家さんの旧家らしい。
細部まで美しい、見事な建築である。
今回も写真はあまり残っていないが、
第一区間のころと比べると住宅の密集度がぜんぜん違う。
しかし、駅からも離れているせいか畑は意外に多い。
平飼いのにわとり小屋などもあった。
暗渠区間は杉並区・世田谷区・渋谷区・新宿区と続き、
これらは昭和40年ごろから公園として整備したようだ。
ここを終点とする人も多いらしいが、せっかくなので当時の終点である四谷大木戸跡を目指す。
中央道に沿ってひたすら東へ進む。
写真は代田橋付近で久々に顔を出した上水の写真。
橋梁など工作物のデザインに昭和を感じる。
笹塚を過ぎたあたり、もちろん暗渠になっているが、橋だけはそのまま残っていた。
(もうすこし引きで撮ればよかった)
初台を過ぎ、いよいよ見慣れた新宿南口へ。バスタ新宿の前をただひたすら歩く集団。
疲労と雑踏に参加者の疲労も、このあたりがピークだったと思う。
しかし、羽村から自らの脚でここまで来たのだと思うと、高揚感がこみあげるではないか。
新宿御苑の脇を通り、ついにゴール。
そこには当時の水番所跡と石碑のみ残っていた。
全3回の工程で、今回が一番きつかったと思うが、皆のおかげで無事ゴールできた。
感謝!
玉川上水編はこれで完結。
今後の成果も残していきたい。
玉川上水を足で辿る②(玉川上水駅~三鷹駅)
2018年5月19日(土)
10時、玉川上水駅出発
前回から約3ヶ月、絶好の散歩日和である。
朝10時、玉川上水駅出発
振り返ると、全区間の中で一番緑が多く、心地よい区間だったと思う。
木漏れ日の緑道は国分寺市あたりまで続いた。
小平市に入り、焼却炉の熱を利用した足湯を発見
(写真を撮ってなかったので公式サイトのリンクを貼っておく)
さらに東に進み、朝鮮大学の辺りにさしかかると、肉の焼けるいい匂いがしてくるのでドキドキしながら行ってみると、学園祭が催されているではないか。僥倖。
どうやら誰でも入場できるようなので入ってみると、校庭で肉や手作りのキムチやマッコリが供されている。しかも安い。機会があったらまた行ってみたい。
(この下はJR武蔵野線も通っている)
小平市ふれあい下水道館 なるものを発見
休憩がてら寄ってみることにした。
ここでは、下水トンネルの中に入るという、貴重な体験が出来る。
このため、建物は一見小ぶりだが、地下深くまで続いている独特な構造になっている。
昼食後、小金井公園に寄って一休み
売店があったのですかさず缶ビールをのむ。
やはり外で飲むビールは格別にうまい。
(今年は大人版ピクニックを企画したい)
小金井公園を出て、さらに東に進むと、
千川上水と分岐点に到達
別に日のここも歩いたが、よく整備されており歩きやすかった。
境浄水場を過ぎて、ちょうど日が暮れてきたころ、JR三鷹駅に到着。
この日はここをゴールとした。
駅前の春の湯で汗を流し、一杯。
玉川上水を足で辿る①(羽村駅~玉川上水駅)
散歩の詳細なルートを地図上に引いてみた。
公道から逸れたルートはGooglemapの性質上再現できていないが、概ねこのルートを辿った。
基本的に玉川上水に沿って、歩くのみではあるが、思わぬ発見がある。
たまたま脇道に入ったところに、旧ヤマジュウ田村家住宅(福生市)という文化財があった。明治時代に酒造業を営んでいた人の家を残してあるらしい。
多摩自慢といい、福生はかつて酒造が盛んだったのだろうか。
天気もよく、ぽかぽかの縁側が心地よかった
開削跡の看板、詳細は省くが400年前の遺構を見ることができるのは貴重
歩くのに夢中で、写真が残っていないが、日が暮れるまで歩いたら、多摩都市モノレール・玉川上水駅に出たのでこの日はここをゴールとした。
約20km・30000歩を達成